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脱毛の歴史◆激痛に耐えた太古から進化を続ける現代まで

体毛というのは、少なからず体に必要だから生えているのだと認識しています。頭を守るための頭髪だったり、汗から目を守るための眉毛だったり、機能はそれぞれです。それを部位によって人は「ムダ毛」と呼びます。そんなムダ毛を人間はいつから脱毛するようになったのでしょうか。女性は当たり前のように脱毛する時代ですが、今や男性の脱毛も標準化しつつあります。脱毛の歴史を紐解くと、人間の美意識は驚くほど昔から引き継がれてきたことがわかりました。

紀元前から行われていた!脱毛法の数々

海外では驚くことに紀元前から脱毛が行われていたと言われています。当然ながら今のような電気的なものはないので、その時代にあった物、自分たちが作れる道具を駆使してムダ毛を処理していたようです。

20万年前

一番古いものでは旧石器時代、人類が初めて石を道具として手にしたネアンデルタール人の頃です。石器で様々な道具を作るようになった人間は鋭い石や、動物の歯牙などを用いて擦切るように毛を処理していたようです。カミソリほど鋭いものではないので、剃るというよりは擦切るという表現になってしまうのですが、毛を石器で擦切ることが、痛いのか、痛くないのかも想像できません。

この時代は美肌とか美意識のような観点ではなく、体毛にノミやシラミがつかないよう衛生的な観点から脱毛を行っていたようです。

紀元前3500~4000年前

世界最古の脱毛と言われているのが、紀元前3500年メソポタミア文明が反映した頃でした。メソポタミア文明では世界最古の文字である楔形文字も生まれています。この文明を支えたのがシュメール人でした。シュメール人は「ピンセット」のような道具を使って脱毛を行っており、これが世界最古の脱毛と言われています。

この頃の脱毛は、宗教の概念から人間の体毛は「不浄」なものと思われており、後の古代ローマ、ヨーロッパなど広くに影響を与えたと言われています。

次に歴史的文献が残っているものだと、地中海エリアや古代オリエントです。

地中海エリアでは、イスラム教が浸透する前の古代アラブ人が紐や縄を利用して毛を挟み込み、毛を抜くという方法を編み出し、その手法は今ではスレッティングと言われ、日本でも眉毛や産毛などの脱毛に使われていますし、この地方では現代においても引き継がれています。

古代アラブ人は部族間の抗争や野蛮な行為が多く、衛生的な観点から脱毛が行われたと言われています。

紀元前3000年古代オリエント文明の頃アッシリア地方、その後に栄えた古代ペルシャではようやく美容としての脱毛が行われるようになりました。

当時は、王が複数の妻を持ち、男子禁制とするハーレム制が主流でした。日本で言う大奥ですね。このハーレムにいる女性を中心として、ムダ毛処理が一般的に行われていました。処理の方法は、硫黄、石灰、でんぷんを水で溶いてペーストにし、肌に塗って剥がすというものです。今のワックス脱毛の原点とも言えます。

時を同じくして紀元前3000年古代エジプトでも脱毛が行われていました。古代エジプトでは体毛は「不潔」なものとされていたそうです。「善と悪の精は頭髪を伝わって出入りする」という迷信があり、鋭く研いだ火打石や牡蠣の殻などでシェービングをする「理容師」が誕生しました。除毛は悪の精を追い出すという宗教的な意味合いがあり、理容師は僧侶と薬学者の性質を持っていたそうです。エジプト王で有名なファラオは、全身の毛をツルツルに剃り上げ、かつらをかぶっていたと言われています。

紀元前0~1500年前

迷信から始まった古代エジプトの脱毛も時代の変化につれ「無毛の体は美しさの象徴」という思想に発展していきました。遺跡の埋蔵品の中からはブロンズ製のカミソリも発見されています。

紀元前30年、世界三大美女と言われるクレオパトラもワックスによる脱毛をしていたと言われています。砂糖と蜂蜜と蜜蝋を練ったものを肌にのせて脱毛するという方法で、現代における「シュガーワックス」という脱毛方法とほとんど変わらない手法です。断然現在使われているものの方が成分が良いことに間違いはありませんが、クレオパトラの美意識の高さがうかがえます。

紀元前を語るとまだまだ古代イスラム、古代ギリシャ、古代ローマ、様々な脱毛法、脱毛理由がありますが、総じて宗教上の理由や衛生上の理由、カミソリやワックスを使ったものなので、これ以上は割愛して紀元後に移ります。

いよいよ紀元後、脱毛の概念が変わる

8~16世紀

ようやく日本にも脱毛という文化が訪れます。時は平安時代。この時代は貴族階級の女性の間で額と眉の形を整える習慣がありました。理想の額の形になるよう、この頃にはすでにあったと言われている金属製の毛抜きで整え、額墨で書き足していたそうです。眉も全て抜いてしまっていたのは、中国から入ってきた白粉を塗るようになり眉毛を抜くことで白粉を浮かないようにする目的があったそうです。

400年続いた平安時代が終わると、1185年に鎌倉時代がやってきます。この頃、時代劇を観るとよく出てくる男性の武家のヘアスタイルである「月代(さかやき)」が登場します。

前頭葉から頭頂部にかけ頭髪を剃り上げたスタイルですが、剃るというのは正確ではなく、当時は毛抜きで1本1本抜いていたと言われています。「木鑷(げっしき)」と呼ばれる木製のピンセットを使っていたそうですが、頭髪1本1本とは恐れ入ります。鉄製の兜が重くて蒸れるため、戦時のみこのヘアスタイルにしていたそうです。

画像引用:imidas

痛みを伴う毛抜きの作業から数百年の時を経て、16世紀半ばの戦国時代織田信長が「月代」のヘアスタイルに初めてカミソリを使った人物と言われています。織田信長がカミソリを使ったことで武士階級も毛抜きではなくカミソリを使うことが一般的になりました。毛抜きで月代を作ると血を流すこともあったと言います。毛嚢炎になることも多く兜をかぶることすら苦痛だったのではないかと推測してしまいます。

17~19世紀

江戸時代になると男性の髭剃りは習慣化してきました。刀を作る技術からカミソリも一般的に普及し始めました。

江戸中期になるとVIO脱毛がトレンドになります。トレンドを支えたのは遊郭の女性とふんどし姿の男性です。なんとも対照的ですが、どちらも恥じらいからの美意識です。VIOゾーンは毛抜きで全て抜くのではなく、「毛切り石」と呼ばれるこぶし大の軽石で擦って切り落としたり、二枚貝を使って切り落としたりしていたようです。切り落とした先がチクチクと痛むので。毛先を丸めるために線香の先で焼いていたとか。

一方アメリカでは、眼科医のチャールズ・E・ミッチェル氏が世界初の「電気分解法」による脱毛を試みました。当時の電気分解法とは、元々逆さまつ毛の治療に使われていた機械を脱毛に応用したもので、発毛組織に直流電流を流して組織液を分解し、その分解作用でできる(水酸化ナトリウム)によって発毛組織を破壊し永久脱毛をする仕組みです。永久脱毛を可能にしたという点においては画期的でしたが、施術に時間がかかりすぎるということで実用化にはいたりませんでした。

画像引用:Amazon.com

近代、進化が止まらない脱毛産業

20世紀の幕開け、1901年にアメリカで、使い捨ての替え刃ができるT字カミソリが誕生しました。これにより、多くの人が自宅で安全に毛を剃ることができるようになりました。T字カミソリを発明したのはキング・C・ジレット氏、かの有名なメーカー「ジレット」の生みの親です。

画像引用:ジレット

1921年にはアメリカ人のジェイコブ・シック氏電気カミソリを発明しました。この「シック」社は現在日本におけるシェーバー市場の1位にあります。

画像引用:シック・ジャパン株式会社

女性のワキ剃りも一般化され、この頃から脱毛は美しさや清潔さの象徴と認識され始めました。

脱毛サロンも20世紀初頭に誕生しました。驚くべきことにX線が使われていたのです。今なら誰でもわかると思うのですが、X線を浴び続けるということは放射能を浴び続けるということです。それによって癌の細胞は消えるかもしれませんが副作用で髪が抜け落ちますよね。その作用を利用した脱毛方法が、脱毛サロンの走りだったのです。X線を浴びることにより、脱毛効果はあるかもしれませんが、他の副作用が出るようになり、良心的な医師は誕生から10年程度で手を引いたようですが、それでも脱毛したいという女性の需要も多く、第二次世界大戦後までもぐりでサロンをやっていたところもあるそうです。

1916年、アメリカ人のポール・N・クリー氏が、チャールズ氏の電気分解法の後継機とも言える、マルチプルプローブ電気分解脱毛機を発売しました。針の本数を増やし、電流を効率的に流せるようになったことで施術時間が短縮されたものです。この機械は医師以外でも使うことができるようにトレーニングを行い、電気脱毛士という仕事も生まれました。医師から一般の脱毛士へ脱毛技術が広がったことから、脱毛市場もより広がりを見せました。

1924年にはフランスのアンリ ボルディエ医師により、高周波脱毛法が考案されました。毛穴に差し込んだ針に高周波電流を流すことによって発毛組織を凝固させて機能させなくすることで永久脱毛を促す方法です。電気分解法ほりも処理速度が速いというメリットがありました。

1945年にアメリカの電気脱毛技術者であるヘンリー E.St.ピエール氏とエンジニアのアーサー R.ヒンケル氏の共同開発により、電気分解脱毛法と高周波脱毛法を組み合わせたブレンド脱毛法が考案され、1948年特許登録されました。これは毛根に電流を流した針を差し込むことで、毛を1本1本脱毛する施術法で、今ではニードル脱毛と呼ばれています。

日本には1972年電気脱毛機(ブレンド脱毛機、ニードル)の輸入が始まりました。実に昭和47年です。江戸時代から昭和の間、日本人はどう脱毛していたのでしょうか。

実は、長きに渡り日本人の脱毛はカミソリと毛抜きで行われていたのです。昭和の初期は日中戦争や第二次世界大戦で美容に関しては低迷期にありました。しかし、戦争も終わり、海外から新しいトレンドが入るにつれ、日本人の美容への関心も高まり、女性はワキを剃ることが当たり前となり、脱毛サロンも広がりを見せました。ブレンド脱毛機はエステサロンで教育を受けた「電気脱毛技術者」によって行われました。このブレンド脱毛機は、毛を1本1本処理するため、当然長時間かかりますし、痛みにも耐えなければいけません。しかし、セレブな女性やおしゃれな女性は次々と脱毛を受け、市場の広がりに伴い国内でも国内でも脱毛機の開発が進められました。日本人の肌質や毛質、用途に合わせてブレンド脱毛と高周波脱毛の使い分けができる多機能型の脱毛機が市場に出ました。

1983年アメリカ、ハーバード大学のロックス アンダーソン博士が「選択的光熱融解理論」を発表しました。これは、レーザーの波長・照射時間を最適化することで、周りの組織には影響与えず、特定の組織のみを選択的に反応させることを可能にしました。

このアンダーソン博士の理論で作られたレーザー脱毛機が日本に輸入されたのは1997年のことです。ついに日本で脱毛の大ブームが巻き起こりました。これまでの脱毛機はニードル脱毛機が主流で時間がかかる、痛いというデメリットがあったので、レーザーに飛びつく女性が多かったのです。メンズ脱毛も流行り始めました。しかしながら、当時は全身脱毛をすると100万円を超えることも稀ではありませんでした。

2000年に既存のレーザー脱毛とは違う、出力の弱い波長を使って発毛組織にダメージを与えるという光脱毛機の開発に国内で成功します。光脱毛機はレーザーに比べ弱いエネルギーを照射する為、短時間で痛みが少ないという特徴があります。そのメリットが受け、国内で爆発的に拡大しました。これにより、エステサロンではレーザーと光による脱毛が受けられるようになったのですが、比例して技術者の技量や知識不足などが原因で、レーザー脱毛施術でお客様に火傷を負わせてしまうようなトラブルも頻発しました。

2001年レーザー光線又はその他の強力なエネルギーを有する光線を根毛部分に照射し、毛乳頭等を破壊する行為は医師でなければ出来ない行為として厚生労働省から通知が出されました。これによって、医師によるレーザー脱毛と、エステティックサロンによる光脱毛は二分化されたのです。

脱毛マシン戦国時代

実に脱毛の歴史は長いものでした。今は様々な国、メーカーで最新の機能を競って開発が続けられています。脱毛の歴史も続いています。現在のマシンについてはまた別の記事でご紹介します。今後の進化も楽しみですね。

 

 

 

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