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Dr.Viseaの理念について「綺麗と健康を身近に。世界を豊かに。」

私たち株式会社Dr.Viseaは「綺麗と健康を身近に。世界を豊かに。」を理念に掲げ、2017年より業務用エステ機器の開発・販売事業を行っています。

2022年現在、全6種(ハイフ/脱毛機/シミ取り機器/痩身複合機/美肌ケアマシン/電磁パルス痩身機器)の業務用エステ機器を販売しており、マシン開発・販売事業のほかエステサロンの開業支援やサロン運営サポート、集客支援事業など幅広く展開しています。

Dr.Viseaの業務用エステ機器は、日本レーザー医学会の会員である大学教授やクリニックを運営している顧問医師、過去に株式会社ソニーの商品開発を担当していた一流のエンジニアと連携して、医療大学の研究室にて開発しており、安全性が高く確実に効果を実感いただけるマシンとなっています。

また、一般的にこれまでの業務用エステ機器は300〜500万円と高額でしたが、「より多くの方に美と健康をご提供したい」という想いから、多くのオーナーさまに導入いただけるよう購入しやすい価格帯でマシンを提供しております。

なぜ、“美と健康”にこだわるのか?理念に強く影響した創業者の生い立ち

エステ業界へ進むきっかけとなった
父の病と弟の健康

Dr.Viseaの創業者である私、渡邊鷹海は1989年、 東京都に5人兄弟の長男として生まれました。
父は昔ながらのとても厳しい人で、「男は強くあるべき」という教育方針のもと、私が幼い頃から空手や柔道などを習わせ、異性の目が気になる年頃になっても「男たるもの坊主だ」と言って私が髪を伸ばすことも許さない大変厳しい人でした。

私が高校2年生の春、そんな父に癌が発覚し、私たち家族の生活は一変しました。
看護師の母は一家を支えるため、より高収入な緊急病棟に勤務するようになり、私も母や弟たちを支えるため、手作りのお弁当を持って母が勤める病院に足を運ぶようになりました。

生命の危機に瀕している方が多く運ばれてくる医療現場を目の当たりにしたり、あんなに強かった父が癌により日に日に痩せていく姿を見るにつれ、健康であることの有り難みを痛感するようになりました。

また、私の弟の一人は幼い頃から身体が弱く、油物やお菓子などを少しでも口にすると顔中に吹き出物が出てしまったり、日常的に肌荒れが起こる体質でした。もともと大人しい弟でしたが、父の死後はさらに拍車がかかり、肌荒れのコンプレックスからほとんど外に出ない状態になっていました。
肌荒れに苦しむ弟を見て同じように悩む人をサポートしたいと思うのと同時に、父が他界した後も懸命に一家を支える母の姿を見て「私も早く独立し、母のように頑張る女性たちを幸せにしたい」「人の美と健康を支えたい」と強く思いました。

夢の実現への一歩
大手エステサロンにて
香港事業立ち上げに参加

「人の美と健康を支えたい」という思いから、私はエスカレーター式の大学への入学を蹴り、美容専門学校へ進学しました。
専門学校卒業後、大手エステサロン会社に就職しエステティシャンとして現場を学びながら入社2年目には社内2位の営業成績を達成しました。

これをきっかけに、大手エステサロン会社の香港でのサロン展開事業に参加することとなり、現地でサロン立ち上げや店舗運営を経験し、香港で開店した5店舗のうち一番の売上を出すことができました。
効果を実感して喜ばれている多くのお客様の姿を見て、美を通じてその人の人生を豊かにできるエステの素晴らしさを実感すると共に、大手エステサロンの制約に息苦しさを感じるようになりました。

全国に店舗を持つ大手エステサロンでは、業務用エステ機器を頻繁に買い替えることができません。大手エステサロンでは、全国の店舗で同じクオリティの施術を行う必要があるため、最新の業務用エステ機器を導入するには各店舗のスタッフ研修や講習など整備が必要です。また、1台400万円以上もする業務用エステ機器を各店舗に設置するには、コストを捻出するのが難しいという現実がありました。
最新の技術を搭載した業務用エステ機器が次々リリースされている中で、「最新の技術を搭載した業務用エステ機器で効果が高いメニューを提供できるような、自分の店舗を持ちたい」と思うようになりました。

22歳でサロンオーナーとして独立、
葛藤の日々

大手エステサロンで3年の勤務を経て、香港から帰国後の22歳で新宿にエステサロンを開業し、オーナーとして独立しました。

香港での経験はあったものの、開業資金の調達や商材選定、集客やインフラ整備など、0からのスタートで分からないことだらけでした。
また、「母のように頑張っている女性が通いやすいサロン」が目標の一つであったため、女性が気軽に立ち寄れる価格帯やメニューを多く用意したのですが、スタッフやお客様に女性が多いエステ業界のなかで男性オーナーとして店舗を持つことの難しさを実感する場面が多くありました。
さらに、高額な業務用エステ機器を導入しても、マシン性能が低くメーカーのサポートもまったく無かったため、頻繁に起こる火傷などの施術トラブルやその対応に悩まされました。

とにかくサロンを軌道に乗せるため、早朝5時〜深夜1時まで休みなく店舗に立ち続け、がむしゃらに働きました。
売上が徐々に安定し始め自社のサロンが5店舗に増えた頃、引きこもりがちだった弟が脳梗塞で倒れ、サポートをするために店舗を手放すこととなりました。

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